2017年03月12日

昨日の新聞記事@岩手日報

すみません、昨日のうちにUPすべきでした。
昨日震災に関する記事を書きましたが、昨日の「岩手日報」では、さすがに震災一色でした。もう6年だし、全国的には報道量は少なくなっているのは当然かもしれませんけど、風化を防ぐために拡散させてください。

IMG_20170311_094654.jpgIMG_20170311_094640.jpgIMG_20170311_094411.jpgIMG_20170311_094404.jpgIMG_20170311_094348.jpgIMG_20170311_094329.jpg

にほんブログ村 ライフスタイルブログへにほんブログ村自分らしさ ブログランキングへ
posted by たけとんぼ at 07:02| Comment(0) | 震災関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

三陸の民として

今日で東日本大震災から6年になります。今日、14時46分にはサイレンが鳴り、1分間の黙とうを行いました。
私が暮らす街は、岩手県沿岸北部のとある津波被災地です。

三陸に生きる者として、今日だけはこの話題を欠かすことはできません。
被災経験を風化させないために。いつか必ず再来する津波の犠牲を少しでも減らすために。
(以下、長文ですので時間があるときにお読みいただければと思います)。

6年前の大地震で、港にいた私は近くの建物に避難しました。昭和8年の津波を経験した方から「木造建造物は流されたが鉄筋は大丈夫だった」と聞いていたからです。自分としては、念のため避難はするものの、津波なんてくるはずがないと思っていました。安全な高台に上がることもできましたが、要するに甘く見ていたのです。

地震から約45分後、私は建物の5階にいて、九死に一生を得ました。なんとか助かりましたが、1フロアでも下にいたら命を失っていました。一瞬で町の半分が流失しました。「こんな高さまで波が届く訳がない。今の時代に津波なんか起こるはずがない」三十余年人生で形成された先入観は、目の当たりにしている現象を受入れることはできず、現実とは思えませんでした。

後の発表では、その場所の津波の高さは25mで、当然犠牲になった方もいます。私については、幸い家族も高台にある自宅も大丈夫でした。

大津波以降、物流も通信も途絶え、あれほど広域で被災しているものとは知る由もありませんでした。直接的な知人は皆、無事でしたが、間接的な知人は大勢亡くなりました。

翌日以降、凄すぎる惨状に、どうしていいかわかりませんでした。家が流されてはいないのですが、食料の流通が止まっているので、兵糧攻め状態です。自分だけならともかく、妻もいればまだ幼い息子3人もいます。

何をどうしていいかわからず、とりあえず避難所を手伝いに行くと、実は食材の余りが発生していました。余っていたのは、賞味期限切れのパンとか、カップラーメンとか…。ただし、それは贅沢でもワガママでもなく、子どもや若者ならともかく年輩の方にとって、食習慣的に食べてこなかったものを急に出されて、ましてや家や知人を失った極限的な精神状況で、喉を通らないのも無理はありません。しかし、家がある自分が「食べ物を分けて下さい」とは言えませんでした。

ガスはプロパンだったのでとりあえず使えましたが、そもそもガス屋さんが流されているので、切れたら充てんできません。大人はほぼ車しか乗らない車社会なのですが、ガソリンの流通が止まっているので、自転車で移動しました。

2週間程度で物流がある程度回復し、生き延びる目途がたちました。

世界中のたくさんの方から様々なご支援をいただきながら、復興への歩みが始まりました。

・鉄道は、震災数日後から、可能なところから営業再開されました。

・1か月ちょっとで、通信が回復しました。

・多くの漁船が流失し全国的な船不足の中、漁船の購入について国が支援するとかしないとか、なかなか方針が決まりませんでした。一部漁業者は、国を待っていたらいつまでも動けないと、自主的に船探しを始めました。

・約3か月半で仮設住宅が建設されました。

・夏には観光受入が再開しました。当然、不謹慎論もありましたが、津波被災地のほとんどは観光地です。観光地である以上、自粛していたら経済は回りません。

その後も次々と復旧は進み、現況は次の通りです。

・仮設住宅から復興住宅への移転は完了。浸水区域には、商業施設や公民館等は建てても、人が住む家は建てられなくなった。ゆえに、復興住宅は震災前の家とは別の場所になり、地域コミュニティーが分断されている。コミュニティーの中で生きてきた人にとっては非常に大きな問題。

・道路、鉄道等は震災前の状況には回復。現在、沿岸に高速道路を建設中…完成は5年後くらいだろうか?しかし、今は部分開通だから良いが、完全開通して有料道路になったら、地元民はお金を払ってまで使う人は少ないだろう…。

・堤防は建設中、まだ計画の半分もできていない。しかし、そもそも…必要か?
堤防のデメリットとしては…
・観光地としての価値を損なう(海が見えにくくなる)
・漁村としても非機能的(漁民は海を見て出漁判断する)
・莫大な公費、資材、人材がかかり、住宅や道路の再建に支障がでる(時間がかかり、コストも上がる)
・油断の原因になる。どんな堤防でもそれを超える波はありえるのだから、とにかく逃げることを身につけるべき。
・海水がアルカリ化し、海洋環境に悪影響を与えている。因果関係はハッキリしないが、実際漁獲量は大きく低下している。
・浸水区域に住宅はないのに、波を食い止める意味がわからない。


とりあえず、以上です。
なお、私の町は比較的被害が小さく復興も早い方で、他の町では仮設に暮らしている方もたくさんいます。

これまで様々な形でご支援くださった皆様には、心より感謝申し上げます。
今、具体的にどうしてほしい、ということはありません…いや、わかりません。去年だけでも、国内では糸魚川、熊本、鳥取、北海道、そして岩手(宮古市、岩泉町、久慈市は津波と台風水害の2重被災)と、大きな災害が多発し、ここだけじゃないのはわかっています。

ただ、忘れないでほしい、それだけです。

皆様、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
posted by たけとんぼ at 17:57| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月10日

東北のローカル放送の話題か!?

え~、私、東北在住ですが阪神タイガースのファンです。
関東、北海道にも居住経験がありますが、中部以西には住んだことはありません。

さて、今朝のラジオで…
「今日は3月10日です。語呂合わせで砂糖の日、水戸の日、そして東京大空襲の日で…」と、ここまでは良かったのですが…
「道頓堀のカーネル人形発見の日です」…へ!?

若い人、意味わからないですよね?
実は、次のようなエピソードがあったのです。

1985年に阪神が21年ぶりにセリーグ優勝し、初の日本一になり、大フィーバーになりました。その時に(酔った?)阪神ファンの一人が、なぜかフライドチキン店の前のカーネルおじさん人形を道頓堀川に落としました。で、そのカーネルがずっと見つからず、その後の長~~い阪神の低迷が「カーネルの狙い」と言われていました。で、結局それが見つかったのは、2000年過ぎてからで、それが3月10日だったそうです。

って、阪神の優勝の記念日ならともかく、その時に川に落とした人形が見つかったって、そんなことが歴史に残るエピソードでしょうか?? ましてや関西でもない、東北のローカル放送です。

ある意味感動しました。
いや~、KFCも人形1体で、その後数十年も語り継がれるレジェンドになるとは(笑)、ものすごい宣伝効果ですね! 川に落とした人が誰なのか知りませんが、その人も英雄ですね(^^;

にほんブログ村 ライフスタイルブログへにほんブログ村自分らしさ ブログランキングへ
↑清き1ポチをお願いしますm(__)m↑
posted by たけとんぼ at 17:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。